昭和32年、評論家の大宅壮一は、刺激ばかり強くて質の落ちるテレビを「一億総白痴化」という言葉で皮肉った。それから69年たって、今度は年を取った親がYouTubeから離れないと、子の世代が頭を抱えているそうだ。
ABEMA TIMESが11月1日に配信した記事によると、子どもがスマホの動画にのめり込むのを「ドパガキ」と呼ぶのにならって、高齢の親の場合を「ドパ親」とも呼ぶらしい。ドパはドーパミンのドパである。番組に出た精神科医は、一人暮らしや孤独な高齢者ほどのめり込みやすいと話していた。
叱る側と叱られる側が入れ替わった
私が面白いと思ったのは、言葉の中身より、立場が入れ替わったことのほうだ。
テレビばかり見ていると馬鹿になる。昭和の家庭では、親が子によくそう言ったものだ。その子どもたちがいまは50代、60代になり、親のスマホに口を出している。記事に出た社会学者の藤田結子さんは、子どもなら「外で友達と遊びなさい」と言えるが、高齢の親には代わりの手を出しにくいと述べている。体の都合で外に出にくい人もいるからだ。
もっとも大宅壮一は、翌年には「一億総評論家」という言い方もしている。文春オンラインの記事によれば、テレビには見る人に自分で考えて意見をまとめる機会を与える面もある、と見直した言葉だという。いまのネットのコメント欄を眺めると、こちらの予言のほうがよく当たっていたと思う。
決め手は中身ではなく「1人で見る」こと
記事の中で一番うなずいたのは、キャスターの徳永有美アナウンサーの指摘である。家族でテレビを見ていれば、ほかの人に気を使って、見たいものを我慢することがある。スマホで1人で見れば、その遠慮がなくなり、人前では見ないものまで見られる。藤田さんも、1人で画面と向き合う「1対1の没入感」がある、と応じていた。
要するに、昔のテレビには茶の間という歯止めが付いていたのである。チャンネル争いは面倒なものだったが、あれが見すぎを抑えていたことになる。テレビが居間から一人ひとりの手のひらに移って、歯止めのほうが消えた。
ネットでは、昔から一日中テレビを見ている年寄りはいた、暇つぶしの道具がテレビからネットに移っただけだ、と書く人もいる。私はこれに半分だけ賛成する。移ったのは道具だけではない。一緒に見る人数が、何人かから1人に減ったのである。
言われる前にできること
記事の後半で藤田さんは、親と子の立場が逆転していく難しさにも触れている。これまで子に指示してきた親が、指示される側に回る。そこにはプライドの問題もある、と。
読む側としては耳の痛い話だ。ただ、取り上げられる前にできることはある。見ている動画を、たまには家族の前で一緒に流してみる。何を見ているかを口に出して話せば、茶の間の歯止めが少しは戻ってくる。

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